五十六万の軍で彭城を制する
五十六万の軍で彭城を制する
関中を手中に収めた劉邦(英語訳 Liu Bang)は、各地で項羽に対して反乱を起こし、自立している勢力と同盟を結び、五十六万と称した大軍を編成します。
そして項羽(英語名 Xiang Yu)の居城である楚の彭城に向けて進軍し、これを占拠します。
この時に項羽は中国の北東部にある斉の国で起きた反乱を鎮圧するために出陣しており、空き城を占拠したことになります。
しかし劉邦軍は大軍であるとは言っても雑多な寄り合い所帯に過ぎず、統制が取れていませんでした。
劉邦が盟主であるというだけで、さほど戦力の変わらない諸侯が集まっていたため、韓信の指揮も行き届かない状態になっていました。
彭城を陥落させた諸侯はいい気になり、宴を開いたり財宝を奪うなどして過ごしている内に、彭城を奪われたと知った項羽が、数万の精鋭を率いて引き返してきます。
そして五十六万の軍はただの一戦で打ち破られ、劉邦軍は散り散りとなって逃走しました。
韓信(英語 Han, Shin)も指揮を取るどころではなく、敗軍をまとめて滎陽(けいよう)という地で劉邦と合流します。
連合軍では項羽には勝てないと悟った劉邦陣営は、軍師である張良が中心となって新しい作戦を立て、それを実行に移します。
その鍵となるのが韓信の存在でした。
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